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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)7889号 判決

原告

追川智昭

原告

追川和男

右両名法定代理人親権者母兼原告

追川佳子

原告

追川友治

原告

追川リサ子

原告

細川藤柗

原告

細川キミ

以上七名訴訟代理人

久保田敏夫

浅岡輝彦

被告

古寺清

右訴訟代理人

高田利広

小海正勝

主文

一  被告は、原告追川智昭、同追川和男及び同追川佳子に対し各金一五〇二万〇四五九円、

原告追川友治に対し金一一二万〇八五五円、

原告追川リサ子、同細川藤〓及び同細川キミに対し各金五五万円並びに右各金員に対する昭和五一年四月一一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告追川智昭、同追川和男及び同追川佳子に対し各金一五一四万八四二九円、原告追川友治に対し金一七四万八九八三円、原告追川リサ子、同細川藤〓及び同細川キミに対し各金一一五万円並びに右各金員に対する昭和五一年四月一一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  右1について仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告追川智昭及び同追川和男はいずれも亡追川一二(以下単に「一二」という。)の子であり、原告追川佳子は一二の妻であり、原告追川友治及び同追川リサ子はいずれも一二の養親であり、原告細川藤〓及び同細川キミはいずれも一二の実親である。

(二) 被告は、肩書住所地において個人で耳鼻咽喉科医院を経営する開業医である。

2  医療事故の発生

一二は、昭和五一年三月二日から、被告の医院に副鼻腔炎等の治療のため通院していたところ、同年四月一〇日、被告が治療行為として実施した硫酸ストレプトマイシン(以下単に「ストマイ」という。)の注射(以下「本件注射」という。)によりショック症状を呈し、これに基づく急性循環不全により死亡した(以下「本件事故」という。)。〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1(当事者)のうち(一)の事実(原告らの身分関係)は〈証拠〉によつてこれを認めることができ、同(二)の事実(被告が耳鼻咽喉科の開業医であること)は当事者間に争いがない。

また、請求原因2の事実(本件医療事故の発生)は当事者間に争いがない。

二そこで、まず、一二が被告の診療を受け本件事故により死亡するに至るまでの経緯についてみるに、〈証拠〉を総合すると次の事実が認めることができ〈る。〉

1  一二は、毎年春先に鼻汁が多くなり、くしやみが出る等の症状に悩まされていたが、本件事故の前年である昭和五〇年三月二五日被告の診察を受けて慢性副鼻腔炎急性増悪症、鼻アレルギーと診断され、同月中は六回、四月は二八日まで二三回にわたり被告の医院に通院し、ネブライザーによりストマイ、デカドロン等の薬剤の投与を受け、シンペニンカプセル、塩化リゾチーム錠等を服用するなどした結果、右症状は一応軽快した。なお、右診療の際、被告が一二に対しアレルギー皮内反応のテストを実施したところ、杉花粉に対するアレルギー反応が認められた。

2  一二は、翌昭和五一年二月初め頃からまた鼻汁が多くなつたので、同年三月二日被告の診察を受けて再び慢性副鼻腔炎急性増悪症、鼻アレルギーと診断され、同月中は二六日までに一七回、同年四月は七日から一〇日まで四回にわたり被告の医院に通院して被告の診療を受けたが、この間三月一六日には咳等の症状により急性咽頭喉頭炎の診断を受け、この治療をもあわせて受けるに至つた。主な治療の内容は、鼻処置、喉頭処置、ネブライザー(ストマイ二〇〇ミリグラム、デカドロン0.5ミリグラム、ARB0.5ミリリットル)の実施であり、そのほかにチオサミノール錠、塩化リゾチーム錠、セレスタミン錠、エンビナース錠等の投与を受け、四月七日にはスメルモンコーワ注射、シンペニン錠及びペクタイト錠の投与も受けたが、右各症状は軽快しなかつた。

3  一二は、同月一〇日午後零時四〇分から五〇分頃までの間に、鼻閉、鼻汁、くしやみ、咳等の症状を訴えて被告の診療を受けたが、被告は一二に対し、鼻腔内にアドレナリン・スプレーを噴霧し、喉頭部にアドレナリン・クロールチンクを注入する処置を自ら施した後、看護婦に命じて右2に記載したのと同様のネブライザーを約五分間にわたつて実施させた。そして右ネブライザーの終了した午後零時五〇分頃、被告は一二の腕にストマイ一グラムを含有する溶液五ミリリットルを筋肉注射し、続いて右注射部位から約二センチメートル離れた部位にスメルモンコーワ注射液一ミリリットルを皮下注射した。

4  午後零時五五分頃、診察室を退出して帰ろうとしていた一二が診察室の隣りにある待合室内で突然例れたので、被告は直ちに看護婦等と共に一二を診察室に搬入したが、同人はすでに意識を消失し、顔面蒼白、冷汗、吐気、口から泡を出す、尿失禁という症状を示していた。

5  被告は、直ちに、一二に対し副腎皮質ホルモン剤及び昇圧剤を注射し、酸素マスクで酸素吸入を行う一方、看護婦に命じて清水満之助医師の救援、救急車の要請、救急設備の整つた関川病院への連絡をさせた。さらに、午後一時頃から清水満之助医師の救援の下に気管内挿管をしての酸素吸入等の救急処置を行い、午後一時二〇分頃救急車が到着すると気管内挿管による酸素吸入を続けながら被告及び看護婦が同乗して関川病院に向かつた。

6  午後一時三〇分頃、救急車が関川病院に到着したが、当時、一二は瞳孔散大、対光反射なし、自発呼吸なし、心音不整、意識消失、血圧測定不能、全身のチアノーゼ、尿失禁等の症状を呈しており、同病院において直ちに心臓マッサージ、レスピレーターによる強制呼吸、酸素吸入、点滴、強心剤・呼吸促進剤・昇圧剤の注射等の救急処置が行われたが、一二は、症状の好転もないまま、午後五時一五分死亡するに至つた。

三次に、一二の死亡の原因となつたストマイについて検討するに、〈証拠〉に鑑定人松倉豊治及び同長沢誠司の各鑑定の結果(以下それぞれ単に「松倉鑑定」、「長沢鑑定」という。)を総合すると次の事実が認められ〈る。〉

1  ストマイは、昭和一八年に発見され翌年公表された抗生物質で、昭和二二年頃までにいわゆる広域スペクトルを有する抗生物質としてその臨床的有用性が確立され、その後臨床各科において広く実際の治療に使用されるに至つた。ストマイ製剤としては、硫酸ストマイ、ジヒドロストマイ及び右両者を複合ストマイの三種類があつたが、ジヒドロストマイは蝸牛管枝に対する毒性が強く不可逆的高度難聴になる危険性が極めて高いためその製造が中止されており、本件事故当時には硫酸ストマイのみが市販されていた。

2  ストマイの適応症としては、従前、肺結核その他の各種結核性疾患、喉頭気管支炎その他のインフルエンザ菌による感染症、副鼻腔炎等の各種細菌(大腸菌、変形菌、肺炎桿菌、エロゲネス菌、緑膿菌、サルモネラ菌)性疾患、細菌性赤痢(疫痢症状を伴うものを含む。)、重症乳幼児下痢症、百日咳、軟性下疳、淋疾、野兎病、ワイル病及び手術時の感染予防があげられ、一二に投与されたストマイの製造販売元である科研化学株式会社の昭和四七年五月改訂にかかる能書(〈証拠〉)にもその旨の記載があるが、昭和五一年四月二八日に公示された中央薬事審査会による第八次医療用医薬品再評価判定(以下単に「医薬品再評価」という。)によると、ストマイの適応症としては肺結核その他の結核症、野兎病、ワイル病及び細菌性心内膜炎(ベンジルペニシリン又はアミノベンジルペニシリンと併用の場合に限る。)のみがあげられ、従前適応症とされていたその他のものについては有効と判定する根拠がないとされた。しかし、右のように従来適応症とされていた多くの疾患等について有効と判定する根拠がないとされた理由は、認可された当時は有効であつた緑膿菌などいくつかの菌による感染症については長年にわたつてストマイを使用する間に薬剤耐性菌が増加して有効でない症例が多くなつたこと、有効性はあるが有効性と比較して副作用の比重が大きいこと、有効性はあるが他にも有効で安全な薬剤があること、ストマイは非常に廉価であるため、疾患の発生頻度が低くこれに使用されるストマイの量が少なく販売利益の見込みが低い場合には製薬会社があえて莫大な費用をかけて臨床治験例の資料を提出することをしないこと等によるものであり、従前適応症とされていたが医薬品再評価により適応症ではなくなつた疾患等に対しストマイが全く無効であつたわけではない。

3  ストマイの副作用としては、第八脳神経障害(難聴、耳鳴、眩暈等。)、第五脳神経障害(口唇部しびれ感等)、腎臓障害、肝臓障害、血液疾患、発熱・発疹・呼吸困難・胸内苦悶その他の過敏症さらにショックの出現等がある。このうち、ショックが発生することは極めて稀であるが、昭和三〇年代からストマイによるショックの症例の検討及び調査がされ、その結果は学会に報告され、各種医学専門雑誌、専門書等にもこれに関する記事、論文等が発表されてきていた。例えば、広島県医師会の調査によると、昭和四一年以前のほぼ一〇年余りの間に同県内で発生した薬剤ショック合計六〇〇例(うち死亡例三六)のうち抗生物質によるショックは三一四例(うち死亡例八)で、その内訳はベニシリン製剤二三一例(うち死亡例五)、ストマイ三七例(うち死亡例二)、マイシリン(ペニシリンとストマイの混合製剤)三九例(死亡例一)、その他七例であり、日本法医学会が昭和三九年度課題調査として全国の大学の法医学教室及び監察医務機関が取り扱つた事例資料を集めて行つた「過去五か年間の薬物ショック死剖検例に関する調査」によれば、総事例数二九三のうち、抗生物質の注射によるものが五五例であり、その内訳はペニシリン二四例、ストマイ一二例、マイシリン一〇例、ペニシリン・ストマイ混合五例、その他四例であつた。また、大阪大学法医学教室が昭和四一年一月一日から昭和五〇年一〇月三一日までの間に右同様の機関等が取り扱つた死亡例の資料を集めて行つた「最近一〇年間の医療事故について」と題する調査によれば、総事例数四七四のうち、抗生物質の注射によるものが五八例であり、その内訳はストマイ二一例(ただしこのうち六例は他剤を併用。)、ペニシリン一五例、マイシリン九例(ただしこのうち一例は他剤を併用。)、その他一三例であつた。さらに関西医科大学内科学教室教授大久保滉が全国の大病院の内科及び皮膚科からアンケートにより集めた昭和四二年から昭和四五年までの間の薬物過敏症に関する資料によれば、ショック例八三のうち抗生物質の注射によるものは三〇例(うち死亡例二)で、その内訳はペニシリン一三例(うち死亡例一)、ストマイ一例、ペニシリンとストマイの混合二例、その他一四例(うち死亡例一)であつた。

4  厚生省は、昭和四三年一二月二七日薬発第一〇一九号をもつて各都道府県知事宛に「各種抗生物質使用上の注意」を通知したが、その中でストマイについては、第八脳神経障害(聴覚異常及び平衡感覚障害)、腎臓及び肝臓障害並びに一過性の口唇部の異常感(迷走神経障害)の各副作用を指摘したほか、「本剤の投与により過敏症状が現われた場合には投与を中止すること。」という旨の指示をした。その後昭和四七年三月二五日薬発第二八一号による通知においては、副作用として血液代用剤の腎毒性増強及びクラーレ様呼吸抑制作用を追加し、高齢者、妊婦、ストマイ難聴者の血族等に対する慎重投与を指示し、過敏症については「数種のアミノ糖系物質(ストマイを含む。)に対し過敏症の既応歴のある患者には投与しないこと。」という旨の指示を追加した。前出の科研化学株式会社の能書にも、右行政指導に従い、「使用上の注意」として、「本剤の投与により過敏症状があらわれた場合には投与を中止して下さい。なお、ストマイ等のアミノ糖系抗生物質に対し過敏症の既応歴のある患者には投与しないで下さい。」という旨の記載がされている。

5  ストマイの投与によりショックが発生する確率は極めて低いものであるが、ショックは一旦発生すると致命的又は重篤な状態となること、ペニシリンショックが社会問題化して抗生物質によるショックに対する関心が高まつたこと、ストマイショックの症例が昭和三〇年代から学会に報告されたり各種の医学専門雑誌、専門書等に掲載されたりしてきたこと、その症例はほとんどすべて注射の方法で投与した場合であること等のため、ストマイの注射によりショックが発生するおそれがあることは、本件事故当時、一般の医師の間で広く知られるに至つた。

6  ストマイ注射前に禁忌者を識別するための予備テストについては、ペニシリンの注射の場合のように予備テスト勧奨の行政指導及びそれに基づく能書の記載は行われておらず、本件事故当時、安全かつ確実な方法として一般に承認されたものではないが、予備テストを実施する場合に標準的水準の医師が通常行つていたのは、プリックテスト法、皮内反応法、結膜・粘膜反応であつた。

四以上の事実を前提にして請求原因3(被告の責任)の不法行為責任について判断する。

1  まず、原告らは、被告に投与すべき薬剤の選択を誤つた過失があると主張するので、この点につき判断する。

(一)  前記認定のとおり、被告は一二に対し、昭和五一年三月二日慢性副鼻腔炎急性増悪症、鼻アレルギー、同月一六日急性咽頭喉頭炎とそれぞれ診断し(前出甲第九号証により右診断が適正であつたことを認めることができる。)、ストマイを含むネブライザーを実施するなどの治療を続けたが同年四月一〇日に至つても右各症状が軽快しなかつた。そこで、被告本人尋問(第一回)の結果によれば、被告は一二の非常にしつこい咳を止めるには何が良いかと考えてストマイを選択し筋肉注射したことが認められる。

(二)  前記認定のとおり、ストマイは、広域スペクトルを有する抗生物質として臨床各科において広く実際の治療に使用され、同月二八日に医薬品再評価が公示されるまでは各種細菌性疾患やインフルエンザ菌による感染症を適応症としていたものであり、これらに対し効能を有するものである。そして、長沢鑑定によれば、急性咽頭喉頭炎に代表される上気道炎のほとんどは感染症によるものであること、起炎菌としてはウイルス、連鎖状球菌、ブドウ状球菌、インフルエンザ菌その他多種類の菌の可能性があるところ、上気道は外気と交通する器官であり各種の病原菌が常在するためいずれが起炎菌であるかの判定が困難であること、発病当初は単一の菌による感染症であつてもその経過中に分泌物の増加・貯留などが誘因となつて二次感染を起こし、二種以上の菌が起炎菌として関与する混合感染症に移行することがあること、また急性咽頭喉頭炎はその経過中に咽頭気管さらに気管支炎に進行することがあり稀には肺炎を併発することがあり、このような場合には混合感染により起炎菌として前記各菌のほかに大腸菌、変形菌、肺炎桿菌、エロゲネス菌、緑膿菌その他の菌が加わることがあること、したがつて急性咽頭喉頭炎に対しては、右各種の菌による感染症であることを想定しながら治療を加えるべきであるから、抗生物質を投与することが妥当であり、特に症状が重症の場合又は治療が遷延した場合には抗生物質は必ず投与されるべきであること、そして急性咽頭喉頭炎の場合に投与する抗生物質として本件事故当時繁用されていたものとして合成ペニシリン系、セファロスポリン系、テトラサイクリン系、マクロライド系等の内服薬があり、稀に用いられるものとしてその他の種類の内服薬やセファロスポリン系、テトラサイクリン系、アミノ配糖体系等の注射薬があり、ストマイはアミノ配糖体系抗生物質の一種であること、ストマイは内服による腸管からの吸収は全く期待できないから全身投与を目的とする限り注射以外の方法はないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

したがつて、被告が治癒が遷延している一二の急性咽頭喉頭炎の治療のためにストマイを選択しこれを筋肉注射の方法により投与したことは、当時繁用されていた方法ではないけれども、不当な選択であつたとはいえず、この選択において被告に過失があつたということはできない。よつて、この点に関する原告らの主張は採用し得ない。

2  次に、原告らは、被告には本件注射前の安全確認を怠つた過失があると主張するので、この点につき判断する。

(一) 前記認定のとおり、一般にストマイの副作用としては各種の過敏症状があり、更にショックが出現することがあるため、ストマイの投与により過敏症状が現われた場合には投与を中止すべきであることは、本件事故当時能書にも記載され一般の医師に広く知られるに至つていたものであるから、同一の患者に対しストマイを継続して投与する医師としては、ストマイ投与による過敏症状の出現の有無には常に留意すべきであり、特に、当該患者に過敏症状の疑いのある症状が現われた場合には慎重な観察及び問診を尽して当該症状が過敏症状であるか否かを確認し、その結果過敏症状と認められるとき又は過敏症状であることの強い疑いが残るときには、重篤な副作用の現われる危険性を考慮してもなお投与を継続する格別の必要があるなどの特段の事情のない限り、投与を中止すべき一般的注意義務を負うと解するのが相当である。

(二)  この注意義務を本件について更に具体的に検討する。

(1) まず、前記認定のとおり、被告は一二が杉花粉に対しアレルギー反応を示すことを知り同人を鼻アレルギー症患者と診断しているのであるが、〈証拠〉、長沢鑑定によれば、花粉病、アレルギー性鼻炎の現症又は既応歴を有する患者はそうでない患者と比較してショックなどの即時型薬物アレルギー症状を起こしやすいことが認められる。

(2) また、前記認定のとおり、被告は一二に対し本件注射前にストマイを含むネブライザーを繰り返し実施しているのであるが、〈証拠〉によれば、ストマイによるショックのほとんどはアレルギー性機序により発生すると考えられており(一二のショックもアレルギー性機序により発生したものであることは〈証拠〉、松倉鑑定により認めることができる。)、その場合、患者の体内にはストマイに対する抗体が形成蓄積されていること、すなわちストマイに感作された状態が生じていて、これにストマイが投与されると抗原抗体反応によつてショックが発生するものであること、そしてネブライザーによりストマイを粘膜に噴霧する場合には患者は非常にストマイに感作されやすいことを認めることができる。

(3) 更に、前記認定のとおり、被告は一二に対し、従前はネブライザーによりストマイを継続投与してきたのに対し、本件注射実施に当たり初めて注射によりこれを投与したものであるが、〈証拠〉によると、一般に抗生物質によるショック死の発生は注射により投与された場合が最も多く、粘膜塗布又はネブライザーの方法により投与された場合は非常に少ないこと、このことはストマイについても同様であり、ネブライザーによりショックが発生した症例も数少ないながら報告されてはいるものの、ショック死の症例のほとんどすべては注射によるものであり、したがつてネブライザーによる投与に比して注射による投与はショック発生の危険性が高いことを認めることができる。

以上の認定事実に照らしてみると、本件のように、アレルギー体質の一二に対しストマイの投与を継続し、しかも初めて注射による投与という方法を採用する場合には、普通の患者に従前と同一の方法によりストマイを継続投与する場合よりもショック発生の危険性が高いというべきであるから、被告としては、本件注射を実施するに当たつて、一般の場合以上に注意深く過敏症状又はその疑いのある症状の出現の有無に気を配るべきであり、過敏症状の疑いのある症状が現われたときには、本件注射前に慎重かつ十分な観察及び個別的、具体的で、かつ、的確な応答を可能ならしめるようなわかりやすい発問による問診を尽して当該症状が過敏症状であるか否かを確認し、その結果過敏症状であることの疑いが残る以上は原則として本件注射の実施を差し控えるべき具体的注意義務を負つていたものと解するのが相当である。

(三)  以上を前提として、被告の本件注射前の安全確認を怠つた過失の有無について判断する。

(1) 〈証拠〉によると、一二は本件事故当日のネブライザー実施直後に被告の医院の診察室内で猛烈に咳をしていたのであり、被告は右咳漱を現認したことが認められるのであるが、右咳蹴はその発現の時期、態様等からしてストマイによる鼻若しくは口腔の粘膜上の又は気管等における過敏反応(アレルギー反応)としての掻痒感、違和感等の結果もたらされたものである蓋然性が高く、一二が罹患していた急性咽頭喉頭炎自体に起因するものである可能性が否定できないとしても、少なくとも右咳漱はストマイによる過敏症状の疑いのある症状であるというべきである。

したがつて、被告は、ネブライザー実施直後に一二の激しい咳嗽に接した際、その原因について慎重に検討し、本件注射前に、過敏症状の出現を疑い、安全確認のために、暫時一二の身体の状態を総合的に観察し、かつ、ストマイに対する過敏症性を示す諸徴表の有無につき個別的、具体的に問診を尽すべきであつたといわなければならない。

(2) ところで、〈証拠〉によると、一二は、昭和五一年四月に入つてからは、被告の診療を受けてまもなく自宅において不快感、倦怠感、激しい咳嗽等を生じ、しばらく横になつて休まなければならないことがあり、そのため、被告の診療を受けると咳が出る旨を妻に告げていたこと、更に被告の診療を受けてまもなく自宅で目にかゆみを生じ、目の縁を真赤にしてこすつていたことがあることを認めることができ、右認定に反する証拠はないのであるが、右各症状は、その種類、出現時期、態様、程度等からしてストマイの過敏症状であつた蓋然性が極めて高く、急性咽頭喉頭炎による局所症状がネブライザー実施による一過性局所粘膜刺激の結果として又はその病状そのものとして現われていた可能性が否定できないとしても(松倉鑑定参照)、少なくとも右各症状はストマイの過敏症状である疑いの強い症状であるというべきところ、右各症状の存在は一二において被告に対してその告知を憚るような事柄ではないから、被告が一二に対し、ストマイの過敏症状の出現の有無について個別的、具体的に、かつ、的確な応答を可能ならしめるようなわかりやすい問いかけの形で適切な質問を発したならば、当然申告されて被告の知るところとなつたものと推認される。

(3) しかるに、〈証拠〉によると、被告は一二のように継続的に通院している患者に対しては通常一分間程度の間に鼻と喉を診察して薬をつける処置をするだけで、その後鼻を洗いネブライザーを実施するのは看護婦に委ねていること、本件事故当日も右と同様であり、被告は一二に対し前回までのネブライザー実施後の過敏症状の出現の有無についての問診は全くしておらず、一二が約五分間にわたりネブライザーの実施を受けている間、他の患者を診察したりカルテの記載をしたり看護婦を指示したりしていて一二に対して特に注意を払つていなかつたこと、そして、ネブライザー終了後帰ろうとしていた一二が猛烈に咳込んでいるのに気づいて、「どうだい、具合は。」と発問し、一二から「何かさつぱり今度は良くならない。」との答えを得た程度で、しつこい咳を抑えるためにストマイの注射をしようと思いつき、直ちに本件注射を実施したものであること、ネブライザー開始から本件注射実施までの時間は五分ないし一〇分間程度であり、その間に、被告は、一二の鼻又は口腔の粘膜等の状態の観察をしておらず、かつ、右のような極めて抽象的な質問をした以外には何ら個別的、具体的な発問による問診をしていないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、被告は、ストマイの過敏症状の疑いのある激しい咳嗽に接したにもかかわらず、これを急性咽頭喉頭炎に起因するものであると軽率に即断し、慎重な観察及び問診を尽して右咳漱が過敏症状であるか否かを確認することを怠つた結果、過敏症状の出現の疑いが強く注射によるストマイの投与は差し控えるべき場合であつたにもかかわらずこれを認識することなく、漫然と本件注射を実施したものであることが明らかであり、このような被告の所為は、前述の被告に課せられた注意義務に照らし、過失ある行為と評価するほかはない。

(四)  これに対し、被告は、本件注射前に一二に対しストマイを含有するネブライザーを実施したことが予備テストの役割を果たしているので本件注射前の安全確認を怠つた過失はないと主張するので、この点について検討を加えるに、前記認定のとおり、ストマイの注射前に行う予備テストとして有効なものにはプリックテスト法、皮内反応法、結膜・粘膜反応法があるところ、〈証拠〉、松倉鑑定、長沢鑑定によると、粘膜反応法はストマイ溶液を鼻又は口腔の粘膜に塗布して行うものであり、ストマイを含有するネブライザーの実施はストマイ溶液を鼻及び口腔の各粘膜に噴霧するものであるから右と同等の効果を期待することができることが認められるのであるが、他方、粘膜反応法は前記処置の一〇分ないし二〇分後に粘膜の発赤・蒼白・浮腫、くしやみ、鼻汁、咳、呼吸ひつ迫感、掻痒感、違和感、しびれ感等の症状の出現の有無を確認してストマイに対する過敏性を判定するものであることが認められるのであるから、ネブライザー予備テストに代用するためには、ネブライザー実施後相当の時間(ネブライザーの開始から一〇分ないし二〇分間。)をおいて、前記各症状のうち他覚的所見について鼻粘膜、口腔粘膜その他一般的な身体の状態の注意深い観察により、自覚症状については十分な問診によりそれぞれ確認し、過敏性を判定する必要があるというべきである。

ところが、前記認定のとおり、被告は、右ネブライザー実施後わずか五分ないし一〇分後に本件注射を実施しており、かつ、その間に過敏反応等の出現の有無に留意して一二の身体状態を観察し、適切な問診を行うことをしていないのである(この点で被告に過失ありというべきことは前述のとおりである。)から、被告の右主張は到底採用することができない。

3  最後に、原告らは、被告には一二のショック症状に対し必要な緊急事後措置を直ちに行わなかつた過失があると主張するが、一二がショック症状を起こしてから死亡するに至るまでの経緯は前記認定のとおりであるところ、前出甲第九号証、松倉鑑定、長沢鑑定によれば、被告が一二のショック症状に対してとつた措置は、その種類、程度、時間的関係において、被告のような一般開業医の医院における初期的救急措置として概ね妥当なものであつたことが認められ、この点に関する原告らの主張は採用することができない。

4  以上のとおり、被告は、本件注射を実施するに当たり適切な観察及び問診を尽さなかつたため一二がストマイ禁忌者であることの識別判断を誤つたものであり、その結果、一二を死に至らしめたのであるから、被告は、原告らに対し、一二の死亡という結果につき、不法行為による損害賠償の責任を免れないものというべきである。

五進んで、請求原因4の事実(損害)について、判断する。

1  逸失利益

(一)  〈証拠〉によると、一二は、昭稲二〇年五月七日生れ(死亡当時三〇歳)の男子であり、本件事故当時、被告の診療を受けていた慢性副鼻腔炎急性増悪症等の他にこれといつた疾患はなく健康で、養父である原告追川友治の経営する酒店の営業の中心的存在として働いていたものであり、本件事故に遭遇しなければ六七歳まで稼働することができ、この間、労働省発表の昭和五一年から昭和五五年までの各賃金構造基本統計調査報告第一巻第一表、産業計、企業規模計、男子労働者、小学・新中卒、全年齢の平均年収額である後記計算式掲記の各金額を下回らない収入を得、その収入の三分の一を超えない生活費を要する高度の蓋然性があることが認められ〈る。〉以上を基礎としてライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して一二の逸失利益の現価を計算すると三三五一万一三七七円(一円未満切り捨て)となる。

(計算式)〈省略〉

(二)  〈証拠〉によれば、一二の相続人は、その妻であつた原告追川佳子並びにその子であつた同追川智昭及び同追川和男の三名であることが認められるので、右原告三名は、右(一)の一二の損害賠償請求権をそれぞれ三分の一(当時の法定相続分)に当たる一一一七万〇四五九円ずつ相続により取得したものと認めることができる。

2  医療費 合計二万〇八五五円

3  葬儀費及び墓地購入費

〈証拠〉を総合すると、原告追川友治が一二の葬儀関係費及び墓地購入費として五〇万円を超える支出をしたことが認められるが、そのうち、本件事故と相当因果関係のある損害として被告に対し賠償を請求することができるのは、五〇万円であると認めるのが相当である。

4  慰謝料

前記認定の本件事故の態様、権利侵害の内容及び程度、原告らと一二の身分関係がその他本件に現われた諸般の事情を総合すると、原告らは本件事故によりそれぞれ多大の精神的苦痛を被つたことが認められ、これを慰謝するための慰謝料としては、原告追川智昭、同追川和男及び追川佳子に対しては各二五〇万円、原告追川友治、同追川リサ子、同細川藤〓及び細川キミに対しては各五〇万円をもつて相当と認める。

5  弁護士費用

〈中略〉本件事案の内容、審理の経過、難易度、前記損害項目金額その他の諸般の事情を考慮すると、原告らが本件事故と相当因果関係のある損害として被告に対し求めることのできる弁護士費用は、原告追川智昭、同追川和男及び同追川佳子につき各一三五万円、原告追川友治につき一〇万円、原告追川リサ子、同細川藤〓及び同細川キミにつき各五万円と認めるのが相当である。

6  したがつて、原告らの取得する損保賠償請求権の額は、原告追川智昭、同追川和男及び同追川佳子につき各一五〇二万〇四五九円、原告追川友治につき一一二万〇八五五円、原告追川リサ子、同細川藤〓及び同細川キミにつき各五五万円と認めることができる。〈以下、省略〉

(三宅弘人 慶田康男 杉原則彦)

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